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消失点について

2017年 07月02日 14:01 (日)

大きなビルのような建物は、上から見下ろしても下から見上げても奥行きは狭まって見える。

際限無く延びていく高さは無いけど、ビルを見上げて屋上から途切れた先は、見えない線の延長が交わる消失点となる。

地上の物体と目線の高さ、正面を見据えたり左右振り返ったり、奥行きの延長線が狭まりながら地平線に交わる点を探り出せばいい。

目線自体が自分の身長に由来する高さから定められているから、対象物と地平線の位置関係に注意して、自分より高いものを見上げる、小さいものを見下ろす当たり前の関係も、遠近法に基づく構図、理屈に合った決まりごとを遵守するための頼もしい根拠になる。

100m先の地点を見据えるとき、陸上競技のトラックみたいに一人分の枠で左右に引かれた線があるなら、その間の幅は今自分が見下ろす幅も100m先も実際には変わらないはず。

奥行きの無い平面上に奥行きを再現するには消えゆくように狭めなければいけないし、逆に消えゆく程に狭まった奥行きであろうと実際の幅は同じでなければならない。

消失点まで延びた線は途中で切り払ってしまえば物体の奥行きを任意に再現できるし、そこから決められた角度の線を延ばせば地平線に交わる消失点に到達することになる。

遠近感を再現する為に間引いて仮設される線の伸縮は見ていて不自然でない構図の存在を示唆する概念であり、延ばして切って、必要な長さに調整して落ち着かせる裁量から、まるで包丁で食材を捌くような手順に従って行われる。

適切な遠近感を導き出す消失点の概念は何年も前から本で読んで、その存在だけは記憶に留めていたけど、数多くある技術の一つに過ぎないと思って拘り過ぎないようにしていた。

ある日、そんな一部に過ぎないと思っていた概念が本当は幅広く適用できる全ての類いに思えて、絵に対する恐怖とか不安とか、途方もなくて億劫な気持ちも、何もかも根底から覆せてしまうような希望の可能性に出会えた。

力を注ぐべき対象が見つかると、こうまで淀み無く捗らせるものなのか、滞り無く済ませられる状態がこんなにも当たり前でなかったなんて、今の未熟で頑なな自分に裏切られて信用できなくなって、今のままの自分ではいられなくなって、いつどんな場所でも変わらないものこそ信じられるようになった。

心置き無くという程ではないけれど、変に拘ることも奇をてらうこともなく、肩の力を抜いたような単調な備えで、取り組めるようになった気がする。

目に見えていたって分かっていなかったことがあるのだから、功を焦り今のままの自分で無理を通そうとすれば、不相応の摩擦は先ず免れない。

継続は力なりというけど、長い間通り過ぎ去ってしまった故に克服し難い本能があり、その失敗の傾向が本当の姿を導き出す決定的な助力となる。

形骸化された当たり前を取り戻すことが目的となるなら絵を描くことがその為の手段となるだろうか、幾多の道も同じ幅で交わるのかもしれない。
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