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価値

2017年 05月05日 12:14 (金)

連休に東京上野の西洋美術館に足を運んだ。

在学中に一度訪れて以来で、一つでも多くの有益な情報を持ち帰るべく目を凝らしていた。

私生活で選んだならば、こんなありふれたものをわざわざ面に再現して誰が目を見張るんだと思っていた形さえ、忠実に表現しようとする姿勢が絵から見受けられた。

とても絵を描いていられそうな時代背景でもなさそうなのに、ここまで安易な妥協無く目の当たりにしたものを再現できる取り組み姿勢に、少なからず違和感を覚えてしまうほど自分の絵に対する姿勢を改めざるを得なかった。

根本的に大きな思い違いをしていると認めて、本当に形骸化しているのはありふれたものに対する自分の認識ではないかと疑っている自分がいる。

見たままを表現することがこうまで一筋縄ではいかないとは、展示されている絵が画家のたゆまぬ研鑽の、氷山の一角に過ぎないことは言わずと知れたはずなのに、ここから拾える何かがあると目を凝らさずにはいられない。

何千回も何万回も見過ごしてきた形の意味に敬意を表さないと、形を忠実に再現できないような気がして、写真に撮って収めた画面越しではなく、今自分が実際に目の当たりにしている立体こそ奥行きの無い均等な面に表さなければならない。

形が人に可能とさせる利便性を把握しなければ、意味のなさない、生きる力が見受けられない絵になってしまうかもしれない。

見たままを描くとは際限無く猶予があるようでは寧ろ損なわれる感性があり、今しか見れないもの、今しか描き写せないもの、目先の小さな形に集中して短時間で描ききることが絵を描く能力の維持に繋がる唯一の手段になる。

形とは人体の臓器に似ていて、部分的な役割を備えた一つの臓器自体は人体としての意味を成さず、だけど人体を機能させる為に欠かせない役割の一つであることは確かで、そんな重要な役割を不完全に備えたまま動かすと反って消耗を著しくしてしまう。

だから全ての役割が備わるまでは下手に動かすべきではないし、不完全な状態で動かして思い通りに動かない煩わしさがあっても見え透いた結果だと思えば悲観する理由もなく、満足に備わらぬまま動かしてみたいと思う必然性だって望み通りの手応えを得たいが為に陥る焦燥の弊害に過ぎない。

それだけでは意味が無くても全体の機能に不可欠な形の形を改めて認識することから始めて、つまらないと懐疑的な違和感を抱く隙もなくありふれたものを再現できるようになる必要がある。

ありのままに描き写す行為のつまらなさに素直になって、描いていて楽しいと思える動機を備えるべきだと思う。

好きだから続ける、嫌になったから続けない、偽って続けられるほど人は強くないから、断念の根拠さえ、失敗さえ世に実在する客観的な正しさの一つだと思って、その結果を避けるように立ち振る舞えばいい。

諦めざるを得ない動機だけが現実的な厳しさではなく、現実を見据えたつもりで目を背けている可能性もまた現実なのだから、現実を見ないで夢の世界に住んでる人が特定の人に限られるとは一概に限らない。

高名な画家は絵を描くことは模倣だと言うが、確かに自分を取り巻く環境こそが自分を形作るものであり、独自の力なんて存在しない、常に何かの影響下にあって染まり、外部に浸透していく媒介に過ぎないのだと認めざるを得ない。

行く先々、常に何かに支えられて生きてきた。

自分の力だと思っていた要領も見識も本当は受け継がれてきた力の恩恵に他ならず、自惚れや、実際には何も成し得ぬ無力が後ろめたくて、自分を保つ為に無理に差別化して思い通りの手応えを得ようと、今でさえ必死になってる。

できることもできないことも真相は取るに足らないと認めたい一方で、勝つこと、負けること、何をそんなに必死に拘ってしまうのだろう。

どんな立場であれ強くなれば弱者に時間を費やして浪費する事態が恐ろしく思える客観性に導かれるけど、それは世界に元から既に在り続けている潜在的な仕組みに過ぎず、人に時間を割けなくなるくらい無価値に見えても、やっぱり考える人の尊厳を蔑ろにしていい理由にはならないはずだ。

人は何しても自由で、罪を犯せば秩序を保つ為に仕方なく罰を与えて、それでも選ばざるを得ない気持ちの尊重なら損得勘定次第で犯罪だって厭わない。

だったら悪の人格を顧みて、仮設の法に寄り掛からないで済む手段を模索した方が早いと思う。

既存の経済を潤す為に切実な問題を食い物にして有利な命を繋ぐのが改めるべき現状なのか、主義の型に捕らわれぬ価値観を共有できればいいのに。

人の本来の弱さが蔓延る腐蝕の根源なのだから、人の弱さに端を発する強かな狡猾ささえも慈しまなければならないのだろうか。

歴史は短いから繰り返すのか。
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