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2017年 02月01日 11:07 (水)

液体を供給するポンプの構造と時計の針はどこか似ている。

管を伝い、積み重ねながら送り出して必要な移動距離に達する堆積輸送の構造が、一定の周期で繰り上がる時間の単位に似ている気がする。

時間は60秒で1分に繰り上がり、60分で1時間に繰り上がる。

大きい単位の僅かな動きの為に、秒針は忙しなく歩み続ける。

長い時間を費やした割にほんのちょっとしか進歩が無いと思う時も、これと同じなんだろうか。

ポンプが液を送り出す経過に伴って繰り上がる単位は重量であり、単位の区別を取り除いて考えれば秒針は延々と無尽蔵に時を流し込み蓄積させる。

一つ上の単位に繰り上がり再び一から蓄積し直す時間の流れは、周期を持たない液体の流動のように次から次へと送り込まれる絶え間無さを当初は感じさせなかった。

一方で、そんな液体の流動が重量の単位という概念によって一定の経過で繰り上がる周期を手に入れた事実は時計の秒針と性質を等しくして相反している。

周期を持つか持たざるかは、留まって欲しい時が否応なく過ぎ去る無情さと、一定の周期を満たすまでの長い経過と僅かな進歩という、人が時間に対して感じ得る二つの煩わしさを象徴しているように思える。

長い時間の献身と達成に要する猶予の乏しさが常に人を追い詰めてきた焦燥の側面ならば、自在に時を操るように時間の使い方を改める裁量こそが達成の構想に欠かせない要件となる。
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