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井の中の蛙

2017年 01月02日 18:30 (月)

送電線で繋がる鉄塔のてっぺんを見上げて、井の中の蛙は海の広さは知らないけど空の深さを知るという表現を思い出した。

ただ空を見上げただけでは感じ得ない重圧があり、蓄積された物の高さがあって初めて届き得る感覚でもある。

圧倒的な高さを見上げて平衡感覚を失い、稀にそれだけで満たされた気持ちになる時があるけど、長い時間見上げてると僅かな時間に阻まれて保たれるべき価値を損ねてしまう気がして見続けていられなくなる。

ちょうど信号待ちの途中で、もとより目を背けざるを得ない状況でもあったのだから、尚更価値は引き立てられたことだろう。

井戸の底から見上げる空の青さって何だろう?

人は皆井戸の中に居て、場所を転々としても入るべき井戸を選んでいるだけに過ぎない。

ひとつの場所に留まって離れられなくなれば、そこは井戸というより越えられない壁のようで、空の高ささえ見えなくなる。

世界が完結して、そこしか世界が広がらなくなるのに、思いを馳せるような高さとはどこにあるのだろうか。

自分を取り巻く状況の傾向から判断できることだけが世界の真相であるべくもなく、外に出れば初めて来た場所でも久々に来た場所でも、知らない内に長い時間が費やされた場所には及びもつかないような恐れ多さを覚える。

転々としてきたから解ることだから、どこへいっても不慣れな誰かを凌駕できることはなく、どうしたって取り返せない時間の空白があることを痛感してしまう。

井戸は、そこに佇む誰かが長い時間をかけて掘り下げた技術の洗練であり、その世界の狭さが築き上げる下積みの過程こそが、驚くべき世界の広さとして外部の訪問者を圧倒している。

ひとつの世界で完結する場所が井戸などではなく、世界中から一ヶ所に注がれる場所が井戸なのだろう。

井戸の底から仰ぎ見る空の深さ、青さ、高さというのは、善悪や優劣の仕切りを関係無くした不慣れな境遇を表しているのかもしれない。

落ちる高さがあるから、得意分野とは畑違いな不慣れな場所で順応を怠れば、痛い目を見る事態は免れないだろう。

どうして一つの場所に長く居られないのか、まるで諸刃の剣のように利害のバランスが極端だから、安全な根拠も危険な根拠も一緒くたにした動機に導かれるままに安易に人生を費やせなくなる。

何か一つに特化できない器用貧乏の後ろめたさは入るべき井戸を選ぼうにも井戸の深さに躊躇してどれにも入ることができなければ、浅く広く井戸の入り口付近を転々と歩き回るしか他にできることが無くなってしまう点にある。

一つの場所を開拓して人や物や情報を外部から仕入れ発展を促すことが井の中の蛙に秘められた人のあるべき姿なら、海の広さも空の青さも真に対立すべき概念ではなく、相互に補い合う関係として機能するように、双方の間で生じ得る軋轢の原因を取り除いていかなければならないだろう。
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