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抽象的な完成度

2016年 12月22日 20:22 (木)

昔、ロボットを操作して戦うゲームに夢中になってた。

当時は劣等感に苛まれやすく、ほんの僅かな失敗さえ認めたくなくて任務の達成率に傷がつかないように何度もリセットして保存した状態からやり直していた。

失敗して傷がつけば二度とやらないくせに、あたかもミスが無いような上っ面の結果ばかりを追い求めていた。

もし与えられた任務の失敗で完璧な達成率の状態を損なったままデータを保存してしまえば、その後に何度任務の失敗を免れようと元の100%の達成率には二度と辿り着けない。

汚れ濁った汚染水を希釈するように九割九分九厘の達成率にまで近づけようと、十割には二度と届かなくなる。

抽象的な完成度とは、たった一度のミスで損なわれる完璧主義の脆弱性を指し示している。

目指すのは1であり、0.99補っても0.01損なった1に満たない状態は限りなく1に近づいても1ではないのだと全否定で断言してしまう。

献身の過程を蔑ろにされたくない人の感性も、これに似ている。

少しでも徒労の事実を無かったことのように扱われると、その無神経さが長続きしてしまうんじゃないかと思って、嫌悪感を露にして牽制する。

献身の過程がなくなるわけでもないのに、安寧の詰めをしくじっただけで完璧にそぐわない過程を自ら否定してしまうのか。

人は知らないうちに完璧を目指し、ほんの僅かな詰めの甘さが完璧の成立を妨げ、それまでの全ての過程を無意味だと位置付けてしまう。

1に満たないものは1ではない。従って、限りなく1に近い数字も1ではないと不意に全否定する。

こういう感性が無意識に節々に働くと、お互いの無神経な無理強いを牽制し合う殺伐とした雰囲気に包まれることになる。

順調な進捗を損なわせない望ましい状態を漠然と目指して追い求めて、早めの失敗は失うものが少ないと安堵して気にしないで、そして最後の詰めをしくじって初めて気づけることがある。

1を目指すという行為は、0.01を地道に積み重ねて1に近づける行為を示すのか、或いは十全なる順調を損なわせない行為を示すのか、その仕切りが曖昧になっていた。

一体どうして、いつから寸分の落ち度もなく順調に物事を成し遂げ得ると思ったのか、取り組みの効果を最大限まで高めたく思うあまりに僅かな失敗さえ許せなくなっていた。

だから達成までこじつけても、どこか腑に落ちない落ち度が気になって、それを確かめる為に新たな問題を引き寄せては時期尚早の焦りから同じ失敗を繰り返しているのだろう。

詰めをしくじる構築の瓦解は耐え難く、ほんの数秒の痛みの掛け算が、それまで上手く免れてきた心身の消耗を容易く凌駕してしまう。

物凄く損をしたような気がする時の、あの命を削るような痛みは体の中のどこからやって来るのだろうか。

痛みとは言葉や数字で正確に具体的に表現できるものなのだろうか。

早めに順調さを損なっても感じない痛みが詰めに差し掛かる間際まで引っ張って痛感するのは、まるで自分で対応に難儀する条件を揃えて、不慣れな脅威に身を馴染ませているかのようだ。

病み付きの痛みが癖になって、まるで少しずつ毒を混ぜて耐性を強めるみたいに、人は失う強さを身につける為に構築の過程を育む喪失の逆行に身を委ねているのかもしれない。

維持の苦労が報われなかった時の、背筋を通る血管の内壁を削るような痛みの正体を知りたい。

もし惜しみ無く羽振り良く命の時間を費やせることができたなら、構築の瓦解さえ判断材料の過程に過ぎず、恐れるに足らないだろう。

もしかしたら構築の瓦解による反動だけでなく、取り組み序盤で直ぐに済ませようとする脆弱な試みと比較して、終わり間際で強靭な試みへと変遷しつつある終盤の方が報われない試みを導き易いせいもあるかもしれない。

継続の採算を損ない易い序盤の焦燥よりも終盤の焦燥の方が直ぐ済ませようとする試みの頻度が高くなる為に、僅かな時間で心身を著しく磨耗させてしまうのだろう。

直ぐに済ませようとする点において脆弱な試みとなる序盤よりも、強靭な試みとなるはずの終盤の方が皮肉にも焦燥の摩擦に苛まれ易くなる。

だから終盤に差し掛かる節目に新たな規模を巻き込んで、途方もない過程に臨む初心の慎ましさを取り戻さなければならない。

そうやって終わりと始まりを繋いだ絶え間無い負担の波に身を漂わせ、膨大な失敗の波に含まれる僅かな成功の数を巻き込んで掬い取る行為の繰り返しで、人は成長のきっかけを掴めるのだと思う。

毒針で何度も刺されるような終盤の窮屈が苦しいから終わらない戦いを望み、途方も無い始まりの億劫が辛いから一度で多くの荷物を運ぶように新たな規模を巻き込む。

平静の装いとは消耗採算から継続の採算を損なって断念に至る事態を免れた束の間の状態であり、小さなことに勢い余って悪戯に浪費する消耗採算は逆手に取ることができる。

焦りとは処理すべき目先の負担に過剰に体力を奪われて浪費することなのだから、更なる負担を巻き込んでしまえば目先のことに勢い余ってもいられなくなる。

詰めをしくじらないようにする為に終わりの無い負担の波に身を漂わなければならない皮肉な辻褄が、何時までも終わりの無い戦いに身を投じさせていた理由なのかもしれない。
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