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評価

2016年 11月11日 05:01 (金)

ひとつでもいいものができると、その価値を損なわせないように、その価値に見合うように、台無しになって報われないことが無いように、引き続き研鑽に努めようとする。

大学に通っていた頃、視野を広げたくて進んだはずの道で漠然とあてどなく受け身の勉強に寄りすがっていた。

人生に自分なりの活路を切り開きたくて、何でもいいから好奇心をくすぐり没頭できる何かを探し求めた。

在学予定期間の半分を過ぎた頃、同期の学生の勧めで国際政治学のゼミを選択する運びとなった。

他の所属学生の事情は知るべくもなく2年の空白を取り戻そうなんて時間を遡るような無茶を試みようとしていた。

授業の遅れに関して個々の学生に合わせて進めるほど寛容ではないゼミだったようで、卒論の準備期間さえ確保できなくなる事態も恐れていたので、もう引き下がる訳にはいかなくなってしまった。

不利な立場でも卒業くらいできるような結果を積み重ねなければと思わざるを得なかった。

結果として卒論の単位も認められて無事卒業することもできたけど、就職にまでは結びつけることはできずに非正規雇用の人材として社会的に不安定な立場を過ごしている。

卒論は成績表の上では思った以上の評価をいただくことができて、腑に落ちない気持ちの傍ら確かに嬉しい気持ちもあった。

きっと今まで勉強してこなかった遅れを取り戻した分の評価を貰うことができたんだなと、差し引きゼロでようやく人並みに辿り着けたような解釈で納得しようとした。

ようやくスタート地点に立つことができた入門段階という解釈は、あながち間違ってはいないと思う。

何故なら、高い評価を貰ったって、全くそれに見合った成果を得られていないと思ったから。

何も始まっていなくて、今までより余計に途方もなく思えた。

何でこんな身の丈に合わない買い被られたような評価を得られたのだろう。

ゼミの教授はこういう心境になる事態が分かっていたかもしれないし、或いは別に適当で気にも止めていないかもしれない。

後者なら単なる自意識過剰で、前者の想定ならば評価は飴と鞭で、いいように手の平の上で踊らされているだけのようにも思えた。

そういう可能性を当時から考えつつも、今まで取り組んできたことは引き続き取り組むべきだと思って、実際その通りにしてきたつもりでいる。

全然評価に見合っていなかったから、今でも成果を積み重ね、評価に足りない成果を補い続けようとしている。

そうすることで取り戻したい何かがあり、それには自惚れに便乗してでも向上の機会を逃したくはないと考えるようになった。

評価に見合う恥ずかしくない等身大の自分に重ねられるように、愚直に続けるしか無いのだと思った。
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