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表裏一体の慣性

2016年 10月30日 03:46 (日)

焦るということが客観的に一度では到底成し得ないような結果を無理に手繰り寄せようとする行為を示すのであれば、その焦りは負担を自分自身の能力に見合った脆弱な許容量に収められるように僅かな規模に分割して処理することによって解消することができる。

結果を求めて欲しがって、焦って上手くいかない状態に滞れば、自ずと自ら一度に処理する負担の量を見直す運びとなる。

その見直しの前後を隔てる境界こそが不慣れと慣れの狭間であり、処理すべき負担を適当に分割できているか否かが大きな違いとして表れる。

慣れて無理無く負担を捌けるようになる展開は望ましく思えるけど、ここに焦りの落とし穴が潜んでいる。

一度でこなせる負担の量が習慣化されている為に、普段は取り組まないような難事に臨む場合でも、惰性が働いて負担の違いも顧みずに一度でこなそうとしてしまう。

何が起きたかも気づくことができずに今までの正しい習慣を疑って信じられなくなり、普段とは違う姿勢で取り組む機転を余儀無くされる。

一度にこなせる負担まで対処の規模を分割、縮小しても、不意に対処に迫られる問題の規模が大きいか小さいかまでは配慮が及ばずに、ただ一度にこなすという習慣の一部が働く試しとなる。

慣れと不慣れにも慣性があり、緩やかな習慣が突如として急変を迫られる緩急に対応が難しいことも共通している。

慣れと不慣れはコインの裏表のように切り離せない側面を持つ表裏一体の慣性であることを、いざという時に思い出せるようにしておくべきだと思う。
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