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2016年 10月19日 19:30 (水)

絵を描くことも文章を綴ることも、取り組みに粗が出るのは必ずしも悪いこととは限らない気がする。

見る人や読む人には、そうした粗には敏感で無意識に違和感を感じ取って見抜かれている場合が多い。

それでも、全く落ち度の無い完璧な印象を目指して長らく滞るくらいなら、取り組んだ事実とか実績を先ずは残して継続の自信に繋げる方が大事だとは思う。

いかに不完全で中途半端な着手でも、修正の土台を残して新たな進捗の猶予を得ることが構築の習慣化には欠かせない事実となる。

もちろん雑な取り組みのままではいけないし、中途半端な失敗を繰り返す採算の損失は自ずと意識を改善に向かわせるものだから、継続するにしろ断念するにしろ今のままの自分ではいられなくなるだろう。

中途半端な取り組みでやり直しの繰り返しを要する見込みから、その全ての過程を網羅すべく均等に分散された意識を集約する必要がある。

不慣れだからといって曖昧な線や文章ばかり連ねていても思い描く完成の形に重ね合わせられることはなく、同じ場所で足踏みする滞りの畏怖こそが改善のエネルギー源であり、損なった採算の痛みを必要最小限の線で高い精度に変換することができる。

精度を度外視した絵や文章を作るのはとても気楽で取り組み易い。

でも、それで綴られる線は形を失ったように空気中に漂って散らばり、景色に溶け込んで見えなくなってしまう。

ありふれすぎているからだろう。

そんな際限無い膨大な失敗の繰り返しが億劫に思えた時、もし余計な手間を省いて本当に必要な一点に注ぎ込むことができたなら、ほんの僅か一本の線が、それまで漠然と繰り返してきたどんな曖昧な線よりも厳かで尊い取り組みになる。

緻密で繊細なひと手間を発揮するには、中途半端な着手から見込まれる膨大なやり直しの見込みを常に携えなければならない。
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